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【社員インタビュー#3】General Manager 早川晃央 From Dubai. part1

毎日自分に二日酔い!どうも人事部長のTOMです!

1億3612万7000平方km

世界の面積
日本の国土面積は約37万8000平方km
世界に占める割合はたったの0.28%です。
逆に言えば世界の99.72%は日本じゃないところです。世界ひろっ!

現在日本人口の1%は海外で勤務をしています。
その1%の中にはMountainBull 海外事業部の責任者を務める
早川晃央(通称とっぴーさん)がいます!

今回はとっぴーさんにドバイ富士屋OPEN~現在の二号店OPENに至るまで、
お話を聞いちゃいました!
かなりボリュームのある話だったのでpart1~part3までのシリーズ化となります!
part1はドバイ富士屋OPEN前までの前段です!

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ニューヨークにて、12年前

社長 田中と出会う

ーとっぴーさんといえばMountainBull創業メンバーの一人ですが、
MountainBullを作ることになったきっかけを教えてください!

「田中と俺が出会ったのがMountainBullの原点かな。
最初に知り合ったのは相撲がきっかけだね。

元々俺も田中も相撲をやってて、
全国の強豪校が合同で行う合宿があったんだけど、
そこに二人とも参加していたから接点があった。

田中は年下なんだけどなつっこいフレンドリーな人物
というのが第一印象。あと、長崎弁でめっちゃなまってた。
その後再会するのは大学卒業後だね」

ー大学卒業後はどのような形で再会しましたか?

「俺は大学卒業後、田中が大学卒業間近のタイミングで
ニューヨークで再会したんだ。
その時にこのニューヨークに俺たちで日本食のレストランを出そうと約束して、始まったのがMountainBullだね。

俺がニューヨークに居たのは大学時代の大怪我のせい
大学時代の大きな大会で首の骨を折ったことで、
相撲を続けられなくなったんだよね。

2試合目の時には折れてたらしいんだけど、
気合いでそのまま3試合目に出てたよ。全部勝った。

今までの人生で相撲しかしてこなかったから、
その瞬間から人生が変わってしまった。
当時は何のビジョンもなかったけど、とにかく世界で勝負したいと思っていた。

二人でニューヨークを見て回ったときに日本食のレベルが低かった。
高くて美味しいお店はあったけど、日本人が行っても満足できない
本当の日本食を日本価格で届けられてないと感じた。
がっかりすると共に、ここにチャンスがあると感じたんだ。」

以前より、海外で日本食はムーブメントだ。
日本食=ファッション、おしゃれ、ヘルシー
イケてる日本食レストランを知っていることはステータスにもなる。
このチャンスを狙っているのは日本だけではない。
現地資本の日本食店も急激に増加している。

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ドバイ進出

ー海外出店までにはどのような準備をしていましたか?

「今はビルの閉鎖でなくなったけど、
前、六本木にふじやがあったよね。

国内に居た時から常に海外にはアンテナを張っていて、
あの店舗をOPENした理由の一つにはインバウンドの方々の反応を見たかったという点もある。
日本で海外の方を満足させることが出来なかったら、
海外進出なんて夢のまた夢だからね。

視察には度々行っていて、
シンガポールとかバンコクとかベトナム、マニラも見に行った。
既に日本食の飲食店はどの国にもあって、
1か国目の出店をどこにするかは決めかねていたんだ。」

ー日本から直行便で11~12時間、近くはない距離ですがドバイに出店を決めた理由はなんですか?

「消去法で出店国を決めようとしてる中で、
ある人の紹介でドバイを検討し始めたんだ。

田中と2人で現地を視察して、ドバイで勝負しようと決めた。

理由はたくさんあるんだけど、
ドバイにはまだ本物の居酒屋文化がない
この国に本当の居酒屋を届けたい
たとえ失敗したとしても、本物の居酒屋はこれだ。と基準をつくれたら
それだけで飲食人としてやる価値がある

というある種『使命感』みたいなものがあったかな。
その他税金関連や諸条件も合致したので、止まる理由がなかった。」

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3畳のシェアハウスから

ー海外出店の際にまず始めたことはなんですか?

「とにかくドバイの現地に降り立ったはいいものの、
全くといっていいほど何もなかった。
家も、カネも、コネも、何もなかった。

最初は店舗が出来るまでに何年何か月かかるかわからない。
という状況だった。

家はなんとかボロボロのシェアハウスを見つけて、
フィリピン人とルームシェアしていたよ。
一つの狭い部屋を無理やり二つに区分しているだけの、
3畳ほどのスペースだった。

それからはとにかく毎日歩いたんだ。
有名店を見て回って
不動産に一つ一つ挨拶をして回って

現地の日本人にはなるべく頼らないと最初から決めていた。
まずはドバイの人を、文化を全て知りたかったんだ。」

ーそこから現在のドバイ富士屋1号店の場所を見つけたんですね?

「5か月かけてやっとこれは。という場所を見つけたんだ。

ドバイ国際空港からわずか数分
屋外のテラス席を併せて150席はとれる
ミレニアム・エアポート・ホテル・ドバイ
ドバイはイスラム教だから、基本アルコールは禁止だけど
ホテル内であればアルコールが提供出来る。」

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世界で勝負する

言葉が通じれば相手の気持ちを理解出来るとは限らない。

日本人同士でさえ、お互いを本当に理解し合うことは非常に難しい。
英語が喋れる=海外で働ける
そんな安易な考えを持っていた僕は、
とっぴーさんの話を聞いて自分の想像力のなさを恥じた。

海外で働く。とは、
その国の人たちや文化を死ぬ気で研究することから始まるんだ。

世界で勝負するって、
死ぬほど大変で
死ぬほどカッコいい。

continue to part 2

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